大鶴資料(旧琉球大学医学部寄生虫学教室)

大鶴資料(旧琉球大学医学部寄生虫学教室資料)

※中央研究院台湾史研究所檔案館が所蔵する大鶴正満文書の目録は、右上のリンク先から確認してください。

大鶴正満教授(2003年12月、飯島渉撮影)

大鶴正満氏(1916~2008、以下、敬称を略す)は、日本統治下の台湾(台中)に生まれ、台北高等学校から台北帝国大学医学部に学び、卒業後は短期現役陸軍軍医としての軍隊経験をへて、戦後、新潟大学医学部教授から琉球大学医学部教授、同医学部長をつとめた寄生虫学者である。 大鶴は、膨大な資料を琉球大学医学部寄生虫学教室(現在は、琉球大学大学院医学研究科寄生虫学・国際保健学講座)に残した(以下、この資料群を大鶴資料と略称する)。 大鶴の趣味の一つは写真で、ライカのカメラで撮影した写真やネガも残されていた。これらの写真は、1950年代から60年代という日本人の海外渡航が容易ではなかった時代に、中国や台湾、東南アジアなどの様子を克明に記録している。 感染症アーカイブズでは、大鶴の教え子である琉球大学の佐藤良也副学長、講座の當眞弘先生、野中大輔先生、蔵下一枝さん、琉球大学大学院生(所属は、資料整理を行った時期のもの)の協力を得て、大鶴資料の全体像を把握するとともに、その整理と保全を進めた。

大鶴資料の概要

大鶴資料の内容は多岐にわたるが、大づかみに言って以下のような資料群に分類できる。

①新潟大学・琉球大学医学部時期の研究関係文書

寄生虫対策関係の文書が中心であり、こうした資料から、軍隊経験をきっかけとしてマラリア研究を進めるようになったこと、新潟大学時期には、ツツガムシ病の研究などが中心となっていたことなどが確認できる。
大鶴が大きな役割を果たした、寄生虫学会や衛生動物学会、熱帯医学会への参加記録も多く、こうした学会の軌跡を示す資料としても重要である。

また、資料の中には、かなりの数の研究ノート(手稿)がある。

②外国出張、現地調査関係文書

大鶴が、中国、台湾、東南アジア、欧米、ソ連などを訪問した時の資料である。1957年の中国訪問日誌などもその一部で、これは翻刻を行った(註1)。

この資料は、外国訪問の前後に外国人学者と意見交換した記録や手紙などを含む。また、大鶴は、1962年以後頻繁に台湾を訪問した。台北帝国大学時代の恩師である杜聡明(唯一の台湾人教授)関係の文書(註2)、書簡や同級生・後輩との交友関係を示す資料を含む。

大鶴は台北帝国大学医学部同窓会の東寧会の事業にも深くかかわっており、関係の書簡が数多くある。

③琉球大学医学部設置関係文書

1979年、琉球大学保健学部を基礎に医学部が開設された。

大鶴はその初代学部長となるため新潟大学から琉球大学に異動した。大鶴の異動の背景には、台湾に生まれ、台北帝国大学医学部に学び、寄生虫学や熱帯医学の研究者となった大鶴の台湾への想いがあった。

大鶴は当時の文部省とのやり取りも含め、多くの文書を保存しており、大学史の資料としても重要である。この資料は、琉球大学に保存をお願いした。

④標本

文書資料の他に、かなりの数の標本が保存されていた。マラリアを媒介するアノフェレス蚊のものが多く、大鶴自身が採集したものと寄贈されたものがある(1957年の中国訪問の際に中国人研究者から寄贈されたものを含む)。

これは、二瓶直子先生の協力を得て、国立感染症研究所に移管した。

⑤写真

大鶴教室の撮影による膨大な寄生虫などの写真が残されている。これは、教育と研究のために保存されていたもので、台湾や東南アジアなどで調査を行った際に撮影されたものも多い。

大鶴がカメラを趣味にしていたこともあり、1957年の中国訪問の際に撮影された写真と同時に膨大なネガも保存されていた。但し、ネガの多くはビネガー化しており、その保存は困難であった。

⑥スライド(主として寄生虫関係)

スライドの多くは教育用であったと考えられる。約1000件程度をPDF化し、講座に保存することになった。

⑦図書資料

寄生虫学・熱帯医学関係の専門図書。大量の研究用の「抜き刷り」を含む。寄贈された文献も多く、言語は雑多である。台湾関係図書が多数ある。例えば、『台北帝国大学医学部同窓会名簿』なども貴重である。

⑧森下薫関係資料

大鶴自身が残した資料とならんで重要なのは、大鶴が保管していた森下薫(1896~1978)の残した資料である。森下は、東京帝国大学理学部動物学科を卒業後、北里研究所から台湾総督府中央研究所衛生部技師、台北帝国大学医学部教授となり、台湾におけるマラリア媒介蚊の研究を精力的に進めた。

戦後は、大阪大学微生物病研究所教授となり、日本熱帯医学会の創設などに尽力した。森下は、太平洋戦争中、ニューギニアなどで海軍委託研究としてマラリア研究を進めていた。その際の研究ノートが大鶴の手で保存されていたのである。(飯島渉)

  • 註1)飯島渉ほか「資料翻刻 大鶴正満訪中日誌」(1)~(4)、『青山史学』第31号~34号、2013年~2016年
  • 註2)井上弘樹「台湾の科学者と「光復」―杜聡明による国立台湾大学医学院の運営を事例に」『東洋学報』93(4)、2012年3月

English translation

The materials of Prof. Ohtsuru

Ohtsuru Masamitsu (1919-2008) was born in Taiwan under the Japanese colonial rule and he studied at the Taihoku-High School and the Faculty of Medicine of Taihoku Imperial University before the WW2. After the graduation of the Faculty of Medicine, he worked at the Japanese Army as a medical officer. After WW2, he worked at Niigata and Naha as a medical professor of parasite studies. Why he selected parasite studies as his major was based on the experience as army medical officer including malaria studies.
His laboratory had very huge research materials including many photos, because he liked to take pictures very much by his Leica camera. It is very interesting materials in the period when Japanese were not easy to go abroad.

The AIDH project conducted the research on the materials of Prof. Ohtsuru with the support of the Ohtsuru Laboratory, Prof. Sato Yoshiya, Dr. Toma Hiroshi, Dr, Nonaka Daisuke, Ms. Kurashita Kazue and students of the Univ. of the Ryukyus.

The materials of Prof. Ohtsuru are follows,

 

1. The research materials on malaria and other infectious diseases at the age of Medical schools of the Nigata Univ., and the Univ. of the Ryukyus.

2. The research materials of the field research at China, Taiwan, Southeast Asia, Europe, and Soviet Russia. The letters and documents with Taiwanese friends are very interesting and important.

3. The documents of the establishment of the Medical School, the Univ. of the Ryukyus.

4. Samples of mosquito, vector of malaria. These samples were already transferred to the Institute of Infectious Disease by the support of Dr. Nihei Naoko.

5. Many photos taken by Prof. Ohtsuru.

6. Many slide for education use.

7. Books and offprints on parasite studies and tropical medicine.

8. The materials of Prof. Morishita Kaoru (1896-1978).

 

Morishita graduated from the Tokyo Imperial Univ. and joined the Laboratory of Taiwan colonial government. His major was malaria and other tropical diseases and conducted the research on malaria mosquito with the Japanese Navy at WW2. Ohtsuru kept these materials. It is very important materials on the history of Japanese tropical medicine including malaria studies. (IIJIMA, Wataru)