長崎大学熱帯医学研究所熱帯医学ミュージアム

長崎大学熱帯医学研究所熱帯医学ミュージアム

熱研の歴史

長崎大学熱帯医学研究所の前身は、1942(昭和17)年、長崎医科大学に設置された東亜風土病研究所である。その研究成果は『長崎医学会雑誌』などにみることができる。1945(昭和20)年8月の原爆により、大半の所員が殉職、建設中であった研究棟も灰燼に帰したと伝わる。

戦後、台北帝国大学熱帯医学研究所で教授をつとめた登倉登を所長に迎え、長崎大学附置風土病研究所として研究活動を再開した。1950年代から60年代にかけては、九州および沖縄各地をフィールドに、リンパ系フィラリア症、日本住血吸虫症、肺吸虫症、顎口虫症などの研究が行われた。また、1960年代後半からは海外での感染症研究を本格化させ、フィリピン(エルトールコレラ、マラリア)およびケニア(住血吸虫症)において、臨床・疫学研究と現地での医療協力が行われた。なお、1967(昭和42)年には、風土病研究所から熱帯医学研究所へと改称された。

熱帯医学ミュージアムは、1974(昭和49)年、研究フィールドで収集した資料の整理・保存・展示を目的に設置された熱帯医学資料室を前身とする。その後、1997(平成9)年に熱帯病資料情報センター、2001(同13)年に熱帯感染症研究センターとなり、2008(同20)年に現在の熱帯医学ミュージアムへ改称し現在に至っている。

資料の概要

熱帯医学ミュージアムには、①年次要覧、業績集などの研究所関係の刊行物、②各教室から寄贈された研究調査の記録、③動物標本、組織標本類、④スライド、VTR、DVDなどの画像・映像資料が所蔵されている。

感染症アーカイブズでは、このうちの②各教室から寄贈された研究調査の記録について、内容の確認を行った上で、整理・保存・目録作成を行った。概要は以下の通りである。

 

「寄生虫学分野旧蔵資料」:1950-60年代、風土病研究所臨床部(片峰大助教授)による調査・研究の資料で、543点を確認している。当時、片峰教授は、長崎および熊本の島嶼部において、リンパ系フィラリアの流行調査およびジエチルカルバマジン(DEC)の集団投与治療に取り組んでおり、その関係資料が中核をなしている。フィールドとしては、長崎では五島列島各地、松島、天久保、熊本では天草地方、沖縄では宮古島、海外では済州島に関する資料が含まれている。地域によって残存している資料の種類に異同はあるものの、研究協力者とのやり取りを示す書簡類、罹患歴に関する質問票、住民の採血票、集計表、論文草稿、論文別刷、写真、スライドなど、当時のフィールド調査およびその後の研究において作成される資料の大半が残されている。また、1960年の夏に調査が実施された松島(旧大瀬戸町松島、現西海市大瀬戸町)については、片峰大助教授による16mmフィルムおよび教室員による調査日誌が残されており、投薬治療を受ける側の住民の様子や、当時の研究者の内面を推し量る資料として貴重なものである。研究関係の資料以外にも、学会参加時の教室メンバーの写真アルバムなどがある。

本資料は、青木克己氏(長崎大学熱帯医学研究所名誉教授)、門司和彦氏(長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授)、長崎大学熱帯医学研究所寄生虫学分野(濱野真二郎教授)によって保管されていたものである。感染症アーカイブズでは、資料の生成過程などから、同一の資料群として扱うことが適当だと判断し、整理・目録化を行った。

「衛生動物学研究室旧蔵資料」:1950年代から70年代にかけて、風土病研究所衛生動物学研究室の教授をつとめた大森南三郎氏(衛生昆虫学)の蔵書、研究資料である。同研究室では、収集した研究文献に番号を振った上で、文献カードを作成し、研究テーマごと分類していた。熱帯医学ミュージアムには、文献が納められた箱と文献カードの両方が完全な形で残されている。研究資料以外では、住所録、手帳、学会参加の際の記念写真などがあり、研究上の交流関係を知る上でまたとない資料である。

参考文献
  • 大森南三郎教授退官記念事業会『大森南三郎教授退官記念業績目録』藤木博英社(1972年)
  • 長崎大学熱帯医学研究所編『創立30周年記念誌』長崎大学熱帯医学研究所(1973年)
  • 長崎大学熱帯医学研究所寄生虫学部門同門会夢志会編『片峰大助教授退官記念業績目録』昭和堂印刷(1981年)
  • 「熱研50年の歩み」編集委員会編『熱研50年の歩み :長崎大学熱帯医学研究所創立50周年記念』長崎大学熱帯医学研究所創立50周年記念事業実行委員会(1992年)
  • 長崎大学熱帯医学研究所創立75周年記念事業実行委員会『熱研75年の歩み :長崎大学熱帯医学研究所創立75周年記念』長崎大学熱帯医学研究所(2017年)

沖縄国際大学総合文化学部 市川智生

English translation

Museum of tropical medicine, Institute of tropical medicine, Nagasaki university

History of NEKKEN (Institute of tropical medicine)

In 1942 the Institute of tropical medicine was originally founded as the East Asia Research Institute of Endemic Disease (Toua fudobyo kenkyujo) at Nagasaki Medical University. In August 1945, the Institute’s human resource, facilities and research materials were completely destroyed by the atomic bomb.

After the war, this institute re-launched research activities as the Research Institute of Endemic Disease (Hudobyo kenkyujo) at Nagasaki University. During the 1950’s and 60’s, the main research fields were lymphatic filariasis and schistosomiasis pulmonary distomiasis in Kyushu and Ryukyu islands. Around the end of 1960 this institute furthered both epidemiological research and medical cooperation in foreign areas such as the Philippines (El Tor cholera and malaria) and Kenya (schistosomiasis). In 1967 the name was changed to the Institute of Tropical Medicine (Nettai igaku kenkyujo).

Outline of materials

The materials of the Tropical Medicine Museum include ①publications by the Institute (e.g. annual report, catalogue of academic achievements), ②Documents on field research, ③ zoological specimens and tissue preparations, ④ pictures and videos (slides, VTR and DVD).

 

“Collection of the Department of Parasitology” mainly consists of research documents, pictures and films conducted by prof. Daisuke Takamine (1915-1991) during the 1950’s and 60’s. The research topics were epidemiological research and mass drug administration (MDA) for lymphatic filariasis in islands of Kyushu and Okinawa.

“Collection of the Laboratory of Medical Zoology” consist of collected books and research documents conducted by professor Nanzaburo Omori (1905-1988) between 1950 and 1970. Numerous library index and document boxes compiled by the department staff are worthy of special mention.

Tomoo ICHIKAWA (Okinawa International University)