近代医学と新潟県人(にいがた文化の記憶館)(2019年11月29日)

近代医学と新潟県人(にいがた文化の記憶館)

新潟人の医学への貢献

この展示に気づき、慌てて、2019年11月29日に日帰りで「新潟文化の記憶館」(新潟駅から歩きました)で開催中の「近代医学と新潟県人」を見学してきました。当日は小雨まじりでやはり寒かったです。

14時ごろからゆっくりと見学。長谷川泰とか入沢達吉といった私もすこし知識のある医療人の外に、桑田立斎、竹山屯や澤田敬義など、不明にもその重要性に気づいていなかった新潟人が紹介されており、興味深く拝見しました。

桑田立斎(1811~1868)は、新発田ですね。アイヌ社会と天然痘、そして種痘というテーマはすでにかなり研究ありますが、有名な絵画資料と桑田の事績はつながっていませんでした。

竹山屯と澤田敬義

竹山屯(1840~1918)とその女婿である澤田敬義(1873~1952)は、ともに新潟医学校(医科大学)の校長になるわけですが、特に、澤田はツツガムシ病、肺ジストマ、ワイル氏病の調査研究をしていたことあらためて知りました。小林照幸さんの『死の虫―ツツガムシ病との闘い』、新潟日報から頼まれて簡単な紹介記事を書いたにもかかわらず、知識が定着していなかったことになります。反省しきり、ツツガムシ病、やはりやらないといけないかも。この件は、大鶴正満先生の軌跡とも交錯するはず。

それにしても、江戸期に成熟した蘭学の系譜、その後の近代西洋医学の導入の過程、さまざまな学知の蓄積と医療の普及はほんとにすごいですね。こうした事例は日本の各地であったはずで、より深く知りたいと思いました。いま調べたら、竹山病院は、現在でもあるんですね。

展示内容は写真撮影できませんでした。なお、隣は、会津八一の記念館だったので、こちらも見学しました。その見識、不断に精進する心構え、偉いなあ。そういえば、早稲田の博物館は前を通るだけだったので、次の機会に見学したいと思います。

(飯島 渉)