参加記「第1回 地方病を語る会」

参加記「第1回 地方病を語る会」

2023年7月2日に、山梨県中巨摩郡昭和町の昭和町風土伝承館杉浦医院において、「次世代に語り継ぐ 第1回地方病を語る会」が開催されました。主催は杉浦医院、共催は2023年5月27日に設立された地方病教育推進研究会でした。

今回の集いは、昭和町風土伝承館杉浦医院編『地方病を語り継ごう:流行終息宣言から25年』(昭和町教育委員会、2022年)の出版を記念してのものでした。当日は、同書に寄稿なさった坂田さんと井上さんが、日本住血吸虫症(山梨県ではしばしば地方病と呼ばれる)にまつわる体験談を語り、参加者も交えて活発な意見交換が行われました。集い当日の坂田さんと井上さんの体験談の内容については、『地方病を語り継ごう』の寄稿文を確認していただくことにして、今回の参加記には私が印象に残ったことを3つ書き残します。

第1に、参加者の方々の様子です。当初は定員20名とされていたのですが、当日は40名近くの参加者がいました。講演者の坂田さんは1931年生まれ、井上さんは1937年生まれ、ほかの参加者もご両名と同世代の方が半数を占めていたようでした。参加者の中には、『地方病を語り継ごう』への寄稿者や、寄稿はしなかったけれども自分や親族が地方病に苦しんだという方もおられました。そして、質疑応答の時間になると、参加者からもそうした経験が語られました。ある語りが別の語りを誘発し、時に必ずしも同じではない経験(感染時の症状、幼少期の地方病への認識など)も語られました。こうして、熱気を帯びた「語りの連鎖」が生まれ、「地方病について皆と語りたい/聴きたい」という参加者の熱意を私は感じました。そして、そのこと自体が地方病を経験してきた人々の存在と、他方でその記憶や記録が失われつつある地域のありようを示しているようにも思えました。聞くところによれば、地方病の記憶を忘れてしまいたいという立場の住民もいらっしゃるそうです。そうした方々の存在を含め、歴史研究は山梨県の地方病の歴史と現在をどう論じることができるのかが問われていると思います。

第2に、印象的だったことは、人々の語りの中に、当時の子供たちの生活の様子がうかがえたことです。小学生になると一人の労働者として農作業を手伝っていたこと、子供の時分に大人から川遊びを注意されながらも川で遊びつづけたというエピソード、小学生のときに地方病に感染してもそれを死に直結させてとらえてはいなかったことなど、参加者の当時の生活が語られました。また、1950年代から1960年代に小学生であったという数人の参加者は、教室に地方病のポスターなどはあったけれども、授業で地方病を学んだ記憶はないとも話しておられました。地方病が流行していた時代の子供の暮らしを調査することは、歴史研究としてもおもしろいでしょう。

第3に印象的だったことは、講演者や参加者が語る吐血や出血時の血の色やにおいの表現や、腹水を取る際のおなかをしぼる仕草です。語り手のご本人にとって、こうした経験は、当時地方病に苦しんでいた身近な人と自分との関係から切り離せないものであり、そうしたものとして記憶されて今に至り、今回の集いで表現さているようでした。

杉浦医院の出井館長によれば、今後もこのような集いを継続して行うとのことで、12月上旬にも開催を計画しているそうです。日本では、山梨県のほか、広島県福山市(神辺町片山地区)や九州の筑後川流域(佐賀県、福岡県)、埼玉県・千葉県・静岡県の一部地域でも日本住血吸虫症が流行していました。現在そうした地域には、山梨県のように住民が主体となった日本住血吸虫症に関連する研究会や集会が存在するのでしょうか。もし日本住血吸虫症をめぐってこうした地域間の交流が生まれれば、山梨県の地方病の歴史や経験も別の視点から考えることができるかもしれません。(井上弘樹)